停電と電子マネー
こんにちは。石岡です。
最近、現金ではなくて電子マネーがどんどん生活の中に取り入れられてますね。
電子マネーもいろいろ種類があって、Suicaの代わりに北海道はkitaca。
その他にも色々な種類がありますね。
持っている電子マネーはナナコカードとau WALLETの2枚のみ。
私の生活にはこれで十分なんです。
ナナコカードはセブン系列のスーパー(ダイイチスーパー)と日用品を購入するクスリのツルハで使用します。
この2店舗は必ず使用する場所なので、ポイントを貯めるためにも今まで電子マネーで支払いをしていました。
そのため、5千円から1万円単位でチャージをしていました。
が、2018年9月に起こった北海道の地震。
この時にブラックアウトになり、道内ほぼ全域が数日に渡って停電になったのです。
地震の前日、銀行から2万円をおろしました。
今回はちょこちょこチャージするのではなくて、2万円チャージしちゃおっかな、なんて考えていたのですが、何となく思いとどまってチャージをしなかったのです。
それと、車のガソリンが残り4分の1。
明日でいっか、と思いガソリンは入れませんでした。
明け方だったので、停電になったことに気づきませんでした。
地震直後にテレビもついたし、30分くらい起きてましたが簡単な防災グッズを枕の横に置き、また寝たのです。
1時間後くらいに部屋の電化製品がガチャガチャ動き出したので「アレ?今まで停電だった?」と思うくらいでした。
7時に起きて、友達から連絡が来ていて「停電になっている」と。
え? 私の家、電気つくんだけど?
そうなんです、奇跡的に私の町内一帯は停電は1時間程度だったのです。
同じ旭川市内はほぼ停電です。
そして、近所の小さなスーパーに行ってみると、人、人、人。
一歩、町内から外れると信号機が消えています。
ガソリンを入れておこうと思って車ででかけたのですがもう、パニックです。
幹線道路ではお互いぶつからないように交差点を譲り合いながら。
ガソリンを入れに行こうと思いましたがやめました。
ガソリンスタンドへの道も大渋滞。
前日にガソリンを入れてないことに後悔しました。
ガソリンは地震以降、マメに入れるようになりました。
信号機が消えている道路を車で運転するのは危険すぎました。
本当に胸がドキドキして、恐怖で「とにかく帰らなきゃ」「ダメだ、むやみに動いてはガソリンも消費するし、事故に巻き込まれるかもしれない」
言葉にならない程の恐怖でした。
これから何日間、市内の停電が続くかわからない。
ガソリンはいざという時までとっておこうと思いました。
自宅は電気が使える状態でしたが、テレビがつかないのです。
え?何で?壊れた?
地震により、おおもとのテレビの電波塔がどうにかなっちゃったらしく、電波が届かなくなってしまったのです。
情報を得るには携帯のみです。
ですが、ネットのニュースも限られていて、漠然とした内容ばかりです。
感じたことは視覚からの情報を得たい、と思ったことです。
文章も助かりますが、現状がどうなっているのかをテレビのニュースで見たいと何度も思いました。
そして、新しい情報をアナウンサーの声で聞きたいと思ったのを覚えています。
情報がなかなか得られなかったのがもどかしく、苛立ちや不安な気持ちが続いていました。
テレビが見れるようになったのは、当日の夕方です。
びっくりしました。
地震の現状を見ると「 これは大変なことになっている」と想像以上の状態に驚きと焦りを感じました。
あとはとても欲しかった情報。
それは自分が住んでいる地域(市内)の情報です。
市や消防などから情報が欲しかったです。
市内の停電状況、信号機の状態、または断水が今後予測されるのかの有無、病院の状態など。
自宅での待機やその間にしておくことなど、これらを必要最低限のことでいいから、知りたかったな、と思いました。
家族、友人、知人は数日間停電が続いていました。
マメに連絡をしたいのですが、相手は携帯を充電できない状態かもしれない。
私が知りうる大切な情報をまとめて連絡しました。
そして、相手の現状も知る。
お互い、短時間でも繋がるとホッとするんです。
私の周りにはオール電化の住宅に住んでいる人がいなかったので、食べ物だけはガスコンロで調理できる状態でした。
市内のお店からカセットコンロが一気になくなっていました。
2日目にはリュックに2リットルのお水を2本いれて50分かけて実家に歩いて行きました。
50分で行ける距離なので、まだいい方ですね。
市内でも断水になった箇所とならなかった箇所があったのです。
もしかしたら断水するかもしれないと思い、念のため持って行ったのです。
実家の電話は停電で使えないから、母親の携帯だけが頼りです。
でも、残りの充電がわずか・・・
実家までの到着の間、街の様子を見ながらです。
信号機は復活してる所が増えてきていますが、それは私が歩いている部分だけかもしれません。
車はもう数日様子見た方がいいなと思いました。
徐々に開いているお店もありました(私が見た一部分ですが)
実家はまだ停電中でしたが、冷凍保存してある食べ物があったので、意外と冷たさが残っており食べ物を腐らせることなく、使い切れたようです。
日を追うごとに「停電が解除されたよ!」との連絡が増え、心の底から「本当に良かった!」と思いました。
食べ物は地震初日からなくなっていました。
2日目に実家に行く途中に開いているコンビニやスーパーに寄ってみましたが食べ物、飲み物なし。
自宅には食べ物のストックがあったので、困ることはなかったのですが、その後、数日間はお店で食べ物を見ることがなかったです。
それを考えるとやはり食べ物と飲み物の備蓄は大切だなと思いました。
停電と同じように恐れていたことが断水です。
飲み水はペットボトルにまとめ買いしていたので、安心でした。
が、問題はトイレです。
断水になって流せなくなったらどうしよう?でした。
地震当日の朝、友人から「断水に備えてお風呂の浴槽にお水を貯めておいた方がいいよ」と連絡が来ました。
慌てて浴槽やお鍋、バケツにお水を貯めました。
また、一度ゴミ箱に捨てたペットボトルももう一度水洗いをして、再活用しました。
よく考えたらご飯を炊く時にお水も必要だし、野菜を洗ったりするのにもお水が必要です。
購入したペットボトルのお水にも限りがあります。
断水はかなり厳しいと思います。
それと痛感したのは冬でなくて良かったと思いました。
暖房器具は灯油暖房がメインですが、ストーブ自体電気がないと使えないのです。
薪ストーブは強いな、と思いました。
冬の北海道でストーブが使えない、暖房器具がないのは死活問題です。
1月、2月は最低気温がマイナス10℃〜20℃になります。
重ね着やコート、布団などで保温しても建物自体が冷えるとその中に2日目以降はいられないと思います。
今回の地震による停電が冬であったなら、と考えると・・・。
どうなっていたのだろう、と考えただけでもゾッとします。
あとですね、痛感したのが手元に現金があって良かったなと思ったことです。
地震前日に引き出した2万円が手元にあって心強かったです。
結局は数日間使わなかったのですが(食べ物があったため)これで、自宅に食べ物がなかったらお店を渡り歩いて確保しなければいけませんでした。
また、スーパーやコンビニの電気の確保が比較的早かったので(食べ物は売り切れ、もしくは納品されてない、輸送できない状態)レジは動いていたのですが・・・。
いざとなったら電子マネーは使えないかも・・・と今回の地震で感じました。
停電になって、電子マネーのレジが作動しなければ、いくらここに(電子マネー)お金が入ってるんですと言っても緊急時には使えない。
現金のやりとりで食料やガソリンが手に入れられるのかもしれません。
避難レベルの状態であれば、お金云々ではないと思いますが。
地震前日に2万円をチャージしていたら、手元に現金は小銭だけでした。
確か数日後には近所の銀行もやっていましたが、被害の大きかった札幌などは銀行も開いていません。
そうなった場合、どれだけ心細かっただろうと思います。
電子マネーがダメと言っているのではなく、その他にも手元に現金があるといざという時の安心材料となります。
地震以降は多額のお金を一気にチャージすることはなくなりました。
なんとなく以前よりも電子マネーを使う頻度も少なくなりました。
何でしょうかね?
自分達がどれだけ電気に頼っていたのかわかります。
自分の周りに電子機器が多いことに気づかされました。
テレビ、ストーブ、携帯、給湯湯沸かし器、灯、信号機、ATM、自動ドア、買い物のレジ、電子マネー
近隣の街は地下水を使用しているのですが、組み上げポンプが電気で作動しているのでお水が使えなかった、と友人が言ってました。
そこにお水があるのに・・・!
究極になると必要なのは水と火です。
飲み水、トイレの水、暖をとる火、料理に使う火。
自分の生活スタイルの見直しとも思いましたが、大きく変わらない自分がいて・・・。
早寝早起き。
電源などのこまめにチェック、使わないのはオフ。
テレビは本当に見たい時だけつける。
エアコンの設定温度やストーブの設定温度
これだけは自分の生活に取り入れてます。
エコって何だろう?と半分わかってるような、わかってないような私です。
あの日から今日でちょうど1年なんですね。
電気のありがたみを感じながら、自分の現代文明の生活に時々ブレーキをかけ生きていこうと思ってます。
とても長い文章を読んで下さってありがとうございました。
石岡 友紀
シーユー💛