「死にたい」は「生きたい」
こんにちは。石岡です。
今日のテーマは「おっ!」と思われる方もいると思いますが前から気になっていたテーマなので書きたいと思います。
私はストレスケアというリラクセーションケア、セラピーを行なっています。
身体から脳へアプローチし心と身体の緊張や疲労、感情や過去に受けた心の傷などを解放させバランスをとっていくケアです。(ホメオスターシスの再生もね♡)
徐々に心と身体が解放されてくると今までの感情を表現できるようになって自分の気持ちを言葉で伝えてくれるようになります。
人に自分の感情を言葉で伝えるって結構勇気がいることですし、その感情と再度向き合わなければいけないので本人はハードなことなのです。
基本的に私は相手から話せるようになるまで根掘り葉掘り聞かないようにしています。
無理に心の扉を開くことはしません。
その人自身のタイミングがあります。
心と身体の緊張が解放されてくると、自然と心の扉が開いてくるからです。
そんななか、「今まで死にたいほど辛かった」「死にたいなって思ってた」「死にたいと思ったことがある」など「死にたい」と思っていたことを絞り出すようにゆっくり心のうちを教えてくれます。
簡単に言っているわけではありません。
苦しいと感じながら言葉を噛みしめるように「死にたい」を伝えてくれるのです。
皆さん、「死にたい」と思うことを積極的に考えているわけではないし、それはなんていうんでしょうか、道徳上というのかな?
よくないことであるというのはわかっているのです。
だから、人に「死にたい」と伝えるのは実は抵抗があって、そして知られたくないと思う感情もあり、なかなか本音は言えないのです。
そのため「死にたかった」「死にたいほど辛かった」と言ってくれた時は「本当の気持ちを教えてくれてありがとう」と思いますし、そのままを相手に伝えます。
「死にたかった」はそれほどまでに「苦しい」「辛い」「絶望」「孤独」が続き、疲弊し自分の心と身体がパンパンな状態で出口が見つからない状態だったのです。
そのことを思うとその方達の「死にたい」は「生きたい」なのだなと思うのです。
『生きたい』からこそ、その状況が苦しいのです。
だから、本当は「生きたい」という気持ちを伝えてくれているのです。
「死にたい」は一見ネガティブな言葉に聞こえますが反対に「生きる」を感じます。
「死」は言葉にするのもはばかれますが、自分と向き合いながら心を振り絞りその本音、感情を伝えてくれてるその勇気に感謝したいと思います。
そして、また自分の足で立ち「生きる」に向かっていく人間の「生きる力」にも感動致しております。
人間てそうやって何度も何度も立ち止まり、立ち上がりながら前に進んでいくのですね。
傷ついた人やいろんな経験を持った人は美しい、そして優しい。
そう思う今日この頃です。
今日も読んで下さってありがとうございます。
石岡 友紀
シーユー💛
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